火野山(ひのやま)
 
単独 2019.04.04 
万徳院跡歴史公園Ⓟ(7:04/21)→展望東屋(7:28)→自然観察路→林道万徳線合流→豊永橋北詰(7:59)→栗ヶ谷入口の猪防護柵ゲート(8:12)→作業林道終点(8:28)→郷々谷分岐(9:02)→R261(9:14)→中山市跡(9:21/31)→林道火野山線→常仙寺跡(9:41)→大手道分岐(10:16)→622峰(10:40)→浄必寺跡(10:57)→日山城二の丸跡(11:17/22)→大広間の段跡(11:24/28)→本丸跡(火野山山頂)(11:35)→出丸跡(11:40)→本丸跡(11:44/12:12)→三の丸跡(12:16)→西矢倉跡(火野山西尾根取付)(12:18)→597.4峰(13:12)→万徳院本堂跡(13:46/50)→起点(13:56/14:18)⇒吉川元春館跡

軌跡図
                                                     所要時間:6時間34分、歩行距離:15.6㎞

 この地図は、国土地理院の地形図を使用したものである。

アルバム
北広島町の里山歩き。吉川氏の本拠城として築かれた日山(ひのやま)城跡がある火野山山塊を、万徳院跡を起点に大手道から西尾根へ周回した。舞綱(もうつな)から林道万徳線に入り、万徳院跡歴史公園の駐車場に車を駐める。お空は好晴、気温0℃。北側に、万徳院本堂をモデルに再現した、ガイダンス施設「青松」が建てられている。あとで覘いてみることにしよう。公園入口向かい(南)の小ピークが展望台になっている。寄ってみると、東屋が整備され、これからたどる火野山の西尾根が一望できた。公園入口に戻って、自然観察路を下る。万徳川の支谷に沿ったかつての古道で、よく手入れされている。林道をたどるより心地よく、約500m短縮。舞綱の豊永(ほうえい)橋を渡って、志路原川右岸の道を左に取る。

万徳院跡歴史公園入口(7:34)

展望東屋(7:28)

火野山 展望東屋より(7:29)

林道万徳線と自然観察路(右)(7:35)

自然観察路の終点(林道合流点)(7:48)

豊永橋北詰(7:59)
700mばかり行くと、左手から栗ヶ谷が出合っている。二万五千分の一地形図では、破線径が中山峠へ抜けている。R261へ回るより、断然愉しそうなので、こっちのルートを選ぶ。南西に連なっているのは、陰陽分水嶺だ。引き込み里道は170mほどで終わり、猪防護柵ゲート付きの作業道が谷沿いに続いている。

栗ヶ谷への分岐(8:09)

栗ヶ谷作業林道入口の猪防護柵ゲート(8:12)
作業道は約15分で終わる。うち後半の5分は、ひざ下のササが茂っている。このあとササの茂った山道になるが、薄く丈も低いので、まったく問題ない。山道になってほどなく、左の支谷へ分岐。ちょっと探ってみると、150m先で消失していた。

栗ヶ谷源頭の峠(8:53)

郷々谷越えと中山峠の分岐(9:02)
535.3峰と622峰の鞍部(峠)を越えると、山道は明瞭になる。少し行くと、ふたたび支谷へ分岐。明瞭な道が622峰東尾根を乗り越していた。北に下れば、日山城大手道に出るに違いない。分岐に戻って東に取ると、ササのない広い山道になって、水飲み場のあるR261非常駐車帯に出た。左手が中山峠。峠へ上がって中山市跡をめぐる。今は静かな集落だけれど、16世紀後半には東西50m、南北150mの範囲に皮革製品、木綿、材木、染物などを扱う商人の店が軒を連ねていた、と云う。

郷々谷越えの峠(9:05)

中山峠のR261への合流地点(9:15)

林道火野山線取付 右は円光寺(9:19)

中山集落(中山市跡) 浜田道ガード西出口より(9:28)
日山城跡への入口は、R261を挟んで円光寺の西向いにある。林道火野山線で、250mばかり上がると、右斜面に常仙寺跡への石段が分かれている。段差の大きな石段をひと上りすると、美しい石積の上に瓦葺格子塀の墓所があった。ここは吉川興経の菩提寺跡で、地元の方々やボランティアの手によって、きれいに除伐・草刈りが行われている。林道に戻ってほどなく、左に作業道が分かれる。地形図によれば、622峰東尾根鞍部の北側に当たる。この際、寄り道してみる。道のへりに郷々谷(ごうごだに)の字名標識を見て、先だっての乗越鞍部につながっていた。林道は、ほどなく作業林道になって終わる。谷沿いの山道を詰めて約10分、右手斜面に大手道が分かれる。谷沿いの道を選んで浄必寺跡へ向かう。10分で火野山と622峰の鞍部に上がる。ササが茂って、ルートがよく分からない。

常仙寺跡(9:40)

作業林道終点(10:07)

日山城大手道と浄必寺跡の分岐(10:16)
火野山と622峰の鞍部(浄必寺越)(10:27)
稜線には踏跡があるので、この際622峰まで行ってみたが、何にもない。戻って西の支尾根に入ってみる。こっちには踏跡もない。目指す浄必寺跡は、ササの鞍部を乗り越したところにあった。広いササ原の平坦地の中ほどに「1の郭浄必寺跡」の標識が立っており、山手に石積の痕跡あり。
622峰山頂(10:40)
浄必寺跡(10:57)
ササの鞍部を北西に上り返し、火野山へ。踏跡はあるが、後半は木登りの急登。ひと汗かいて登りつめると、二の丸跡の展望地に飛び出した。南面に千代田GCを裾にした猿喰・龍頭連山、海見山、大掛山など、千代田・豊平の山々を一望できる。二の丸跡は広い平坦地だけど、ここ以外は樹木に覆われている。

日山城二の丸跡(11:22)
猿喰・龍頭連山など 二の丸展望地より(11:17)
花道を通って本丸跡へ。途中、大手道のある大広間の段に降りて、中門跡などをめぐる。中の丸への上り口で布積の石垣遺構に出会う。三の丸への横手道を右に分けてひと上り、本丸跡の火野山てっぺんに着く。広い平坦地は、草刈りが行われて、城郭の様子がよく分かる。展望はそれなりで、北に寒曳山、石見冠山、唐代山、雉子の目山など、南に千代田堂床山を同定できる。

大広間の段(池ノ段)跡(11:25)

日山城本丸跡(火野山山頂)(11:35)

寒曳山 火野山山頂より(11:46)

石見冠山、唐代山 火野山山頂より(11:46)
日山城は、火野山山頂の東肩に下り丸(中の丸)、南肩に出丸、北肩に三の丸、花道で結ばれた東峰に二の丸、そして中の丸と二の丸の間に大広間の段・大門の原と呼ばれる広ーい郭、といった縄張り。出丸は南面が開けるが、三の丸に展望はない。これらを結ぶ道は、手入れされてササなどが茂るところはない。

出丸・南櫓跡(11:41)

三の丸・厩の段跡(12:16)
三の丸の先の西矢倉から、西に向かう主尾根を下る。ありがたいことに、地籍調査杭の打たれた明瞭な踏跡がある。ひざ下のササが茂るところもあるが、難なく597.4峰に達す。

西矢倉跡から火野山西尾根への取付(12:18)
597.4峰山頂(13:13)
100m先の南峰で、海応寺へ下る主尾根と分かれて南東支尾根に入る。こちらにも踏跡があり、240mばかり下ったところで右の支尾根に微かな踏跡が分かれていた。地形図によれば、万徳院跡へ下る頃合いである。あるかないかの踏跡だけど、大したヤブもなく、10分で万徳院跡の背戸に出た。きれいに園地整備され、礎石の展示や、風呂屋などが復元されている。大手道を南に下って、みごとな石垣や門の石積遺構を顧みる。この石積技法は、この地域独特の積み方で、「石つき之ものとも」と呼ばれた石垣職人の手によることを、このあと吉川元春館跡で知る。

597.4峰南峰の南東支尾根分岐(13:18)

万徳院跡への分岐(13:33)

万徳院跡(13:49)
万徳院跡の石垣、門など(13:51)
一直線の参道跡が約200m、ガイダンス施設「青松」の背戸に出る。表に回ってザックをおろし、青松に上がらせていただく。出土品や万徳院復元模型などに、しばし親しむ。帰途、海応寺の吉川元春館跡に寄る。表門跡と石垣の遺構に出会い、広い館跡に上がって往時をしのぶ。立派な台所が復元されているが、板葺の屋根はもはやボロボロ。

ガイダンス施設「青松」(13:56)

吉川元春館跡の表門跡と石垣(14:36)